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運営の読売新聞の歴史

今から133年前の1874年11月2日 合名会社「日就社」から「讀賣新聞」創刊されました。

1911年1月19日 讀賣新聞掲載の投書をきっかけに南北朝正閏論争が勃発。
1917年12月1日 商号を「日就社」から「讀賣新聞社」に改称。
1924年2月25日 経営難から、前警視庁警務部長、後の衆院議員、正力松太郎が買収。
1925年11月15日 「よみうりラヂオ版」新設(テレビ・ラジオ欄=番組表の先駆け)。
1934年12月26日 大日本東京野球倶楽部(現:読売ジャイアンツ)創設。部数拡大に大きく貢献する。
1942年8月5日 報知新聞社を合併。「讀賣報知」に改題。
1945年7月27日 論評なし公表されたポツダム宣言を、翌7月28日「笑止、対日降伏條件」と報道し、同日、鈴木貫太郎首相の記者会見上の「黙殺」発言を7月29日に報道。
12月12日 正力松太郎がA級戦犯容疑で逮捕(9日前の12月3日にGHQから戦争犯罪容疑者の一人として逮捕令が下っていた)。巣鴨拘置所に収容される(1947年9月1日に不起訴で釈放、公職追放となる)。逮捕前日の12月11日には正力の推薦により馬場恒吾が社長に就任した。
1946年5月1日 題号「讀賣新聞」に復帰。
11月12日 「漢字を廃止せよ」との社説を掲載し漢字廃止を推進。
1950年6月1日 読売新聞社が株式会社に改組。
1951年 正力松太郎の公職追放解除。
1952年11月25日 大阪市で「大阪讀賣新聞」創刊、関西に進出。
1959年5月1日 札幌市に北海道支社開設。現地印刷開始。
1961年5月25日 富山県高岡市に北陸支社開設。現地印刷開始。
1964年9月23日 北九州市に「読売新聞西部本社」設立。現地印刷開始。
1966年6月29日 この日から7月2日まで行われたビートルズ日本公演を主催。
1975年3月25日 名古屋市で「中部讀賣新聞」創刊。
1977年 発行部数で朝日新聞を抜き、日本一となる。世界でもロシアのプラウダなどを抜いて一位に。
1979年 渡邉恒雄(現読売新聞グループ本社会長)が論説委員長に就任。
1988年6月1日 中部読売新聞社が読売本体と合併し読売新聞中部本社となり、題号から「中部」外れる。
1994年11月3日 当時の社長である渡邉恒雄の下で、主要なマスコミで初めて「憲法改正試案」を発表して、憲法の改正を主張。憲法について再考する一つのきっかけになった。
1999年2月1日 経営難の中央公論社を買収し、中央公論新社を設立。
2000年12月1日 紙面の文字拡大。「第二次文字拡大ブーム」に火を付ける。
2002年7月1日 グループ再編。株式会社読売新聞社を株式会社読売新聞グループ本社(グループ持株会社)と株式会社読売新聞東京本社に、株式会社よみうりを株式会社読売新聞西部本社と株式会社読売巨人軍に会社分割。中部本社はよみうりから読売新聞東京本社に分割承継(中部支社に格下げ)。大阪本社(株式会社読売新聞大阪本社)も株式交換により読売新聞グループ本社の完全子会社に移行。
2004年1月1日 読売新聞西部本社が北九州市から福岡市に移転。
2004年12月1日 朝刊連載の4コマ漫画「コボちゃん」が、日本の全国紙の4コマ漫画では初めてカラー化 コボちゃんにナベツネこと渡辺恒雄も登場。

報道と言うのは国家としても大事な機関です。戦争当時は報道統制などもあったりして、情報を操作することもあったりしたようです。海外の紛争などでも、最近はテレビ局を占拠して自軍の意思を表したりし、群集心理を良くない方向へ導いてしまうこともあります。毎日の生活に役立つ平和な記事や報道がうれしいです。大手小町で皆が幸せになる発言小町になってくださいね。